Moshipedia
田所恵は、公園のベンチに座り、シナモンロールを頬張っていた。
夏休みの公園は子ども連れでにぎわっている。
子どもたちの周りには鳩が群がり、餌を求める鳩と子どもたちの攻防が繰り広げられている。
シナモンロールをちぎって口に運ぶ田所恵の視線は、その中の一羽の鳩に注がれていた。
他の鳩たちよりも段違いで恰幅が良く、のっそりと歩く鳩。子どもの威嚇にも慌てないその姿。
きっとあいつは、鳩の群れの長に違いない。ふてぶてしく歩く姿に、前職の部長の顔を思い出した田所恵は、その鳩に名前をつけた。
「やい、部長め」
恰幅の良い鳩は、その声に反応し、たぷたぷと身体を揺らしながら田所恵めがけて近寄ってくる。
「あ、ごめん……」
思いがけず鳩と意志疎通してしまったことに動揺する田所恵。
もしも、この鳩が、人間の言葉を理解できるのだとしたら。いくら、異業種、いや、異生物とはいえ初対面で「やい、部長め」はさすがに失礼すぎだ。
近寄って来た鳩は、田所恵と1メートルほど距離を保って立ち止まり、じっと田所恵を見つめた。
一匹の鳩とはいえ、群れの長である。ここからは、人間と鳩の外交だ。
部長と対峙した田所恵は、その後に続ける言葉を必死に考える。外交は言葉が命。
「休みの日は何をしていますか」
考えあぐねた末、お見合いの第一声のような問を選んでしまった。
部長は、首を傾げた。
「クルック―」
しかも何か返事をしてくれた。
ありがとう部長。
でも、どうしよう、せっかく答えてもらったけれど、わたしは鳩の言葉が分からないよ部長……!
田所恵は混乱する。部長、なんて答えたんだろう。クルック―。鳩の休みのボキャブラリーなんて皆無だ。部長だし、ゴルフかな。いや、違う、相手は鳩だ。そもそも鳩に休日という概念があるのだろうか? クルック―と答えてくれたと言っても、翻訳すると、「別に鳩に休みとかねえし?」という回答かもしれない。あるいは、「部長に休みはねえし?」かもしれない。
そんな混乱をよそに、鳩は、田所恵をまっすぐ見つめている。それ、どういう感情の目なんだよ。
眼差しを受け止めながら、田所恵は考えた。
もしも、部長が、田所恵の返答を待っているのだとしたら……。
「クルック―」が鳩語で言うところの「散歩かな。あんたは?」という意味で、
この後も会話を続けようとしているのかもしれない。人間界と鳩界が交わる貴重な一歩を逃してはいけない。外交! これは外交だ! よし。こちらも鳩語を使って、なんとなく交流を続けてみよう。英語で相手の言うことが分からず返事に困ったとき、「ア―ハン?」と、それらしく言ってやりすごすのと同じ手でいくぞ。
田所恵は、鳩語風に明るく応答する。
「クルックックック~♪」
英語をイメージすると、思いがけず某ファーストフード店のCMメロディのようになってしまった。
鳩は、たじろいだ。
「なんで急に、マ〇ドナルドのCMっぽく言ったん?」という戸惑いなのだろうか。部長は明らかに動揺している。
しかし、今のでたらめ返答が本当に鳩語として通用してしまった可能性もある。
「散歩かな。あんたは?」の問に対して、
“クルックックック~♪” が、「ウチは毎週クラブでパーティー↑↑」
という、部長のキャパを超えた陽気な返答になってしまっていたとしたら。
この若いアゲアゲな子とこの先どうやってコミュニケーションを続けたらいいのか、ジェネレーションギャップに部長は戸惑っているのかもしれない。
「大丈夫です!昭和生まれです!」
田所恵はとっさに叫んだ。
公園で遊んでいた親子たちに緊張が走る。鳩に向かって昭和生まれであると申告する不審な女がそこにいる。
鳩は、しばらく首を傾げた後、ぽてぽてと身体を揺らしながら、田所恵の元へ近寄ってきた。
田所恵はホッとした。ええ、そうなんです。わたし、アゲアゲな若者じゃないんで、大丈夫ですよ、昭和のお話ししましょう。
菩薩のような笑みを浮かべながら、その歩みを見つめていると、足元までやってきた部長は、田所恵のスニーカーをツンツンとつついた。
二人の仲は急接近だ。鳩との外交、大成功。
もしも、このまま鳩部長との仲が深まっていったとしたら……。
田所恵は想像する。
鳩の悩みを聞き、人間の悩みを伝え、鳩との共生がはじまる。
その昔、伝書鳩があったのだ。鳩部長を共同創業者として、軽量のデリバリーサービスなんてできるかもしれない。名前は、「hatogaikude」。鳩と人間とで手をとりあって生きていく。そんな未来を描いている鳩部長と田所恵は、環境大臣に就任。鳩部長を肩に乗せ、田所恵は歴史的スピーチをするだろう。ハトにもヒトにも優しい日本の未来が託されている。
「今年の夏の暑さ、鳩的には、大丈夫ですか?」
田所恵は、環境大臣就任を意識した良い声で、鳩に尋ねた。
鳩は、ぬらりと動いた。
「ぎゃあああああ!」
羽根をばたつかせて田所恵に飛び掛かった鳩は、一瞬のうちに食べかけのシナモンロールを奪い、去っていった。
イラスト うちやまはるな
✍️書いた人
宮前じゃばら
作家・脚本家。長野県松本市在住。ザラザラしたものをつるつるに磨くことと、火焔型土器を眺めるのが好き。