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もしもお酒に飲まれてしまったら

✍️ 海野 紀恵

もしも度:🍺🍺🍺🍺

お酒と私

宴会が増えるこの時期。皆さん、飲んでますか?

私はお酒が大好きです。
ビール、ウイスキー、ワイン、日本酒。
これまで数々のおいしいお酒と出会いました。
味はもちろん、飲んでいくうちに凝り固まっていた心がほぐれていく。
あの感覚が好きなのだと思います。

一方でお酒の失敗も数知れず。
最近の事件は、同級生が営む近所の居酒屋で発生しました。気の置けない仲間と楽しく飲み、お手洗いに行ったところまではよかったのですが、わずかな段差で転倒。顔と肘を派手に負傷しました。
頬から血を流しながら席に戻ったところ、一斉に「何があった!?」と突っ込まれましたが、酔っ払った私の脳みそは、ケガを認知できていなかったのでしょう。
「大丈夫!大丈夫!!」と笑いながら、手当をする素振りも一切見せず、また日本酒を飲みはじめました。見かねた友人が手当をしてくれて、無事に帰宅したものの、翌日はとてつもない罪悪感に襲われました。その後数日間は、絆創膏を顔に貼ったまま仕事をし(ほんの少しですがテレビにも出ています)猛反省の日々でした。

あぁ、完全に酒に飲まれている。情けない。

仏教とお酒

こんな話をすると「あれ、お坊さんってお酒飲んでいいんだっけ?」と言われます。
そうですよね、そう思いますよね。

仏教には〈不飲酒戒(ふおんじゅかい)〉というものがあります。〈お酒を飲んではいけない〉というルールです。
お釈迦様の言葉を集めた原始経典『スッタニパータ』には、「お酒を飲んではいけない。他人にお酒を飲ませてもいけない。また、他人が酒を飲むのを容認してもいけない。お酒は人を狂酔させるものであると知りなさい」「愚かな者は酔いによって悪事を行い、他の人を怠けさせ、悪事を行わせる。(飲酒は)この禍のもととなる(飲酒を)回避しなさい」(著者意訳)と記されています。

でも、日本のお坊さん、お酒飲んでますよね?(私も含めて)
しかも、結構お酒好きなイメージがありますよね?

では、なぜ堂々とお酒飲んでるの?という素朴な疑問を考えてみようと思います。

ここからは、完全に私なりの解釈です。
日本の仏教は伝来から1500年近い年月を経て、人々の日常の中に溶け込んできました。仏教はその性質から、もともとその地に根付いていた風習や習慣と結びつくのがとても得意な気がします。古来から、日本ではお酒を〈神聖なもの〉として大切にしてきました。室町時代になると、武士などの間で、絆を深めたり、約束を交わす時に行われる〈酒道〉という儀礼も生まれたそうです。そして鎌倉時代以降は庶民もお酒を楽しむようになり、人々のコミュニケーションツールの一つとして親しまれてきました。
このような日本のお酒文化の中に僧侶や仏教徒も馴染んでいった結果、僧侶も仏教徒もおいしくお酒をいただくという現状が出来上がったのではないでしょうか?

それでもついつい飲まれてしまう私たちへ

でも、私はお釈迦さまのお言葉を聞いてとても耳が痛かったです。おっしゃるとおりです。
僧侶である私以外の方も、共感してくださった方、いらっしゃるのでは?

私は、仏教は〈自分の姿を振り返ること〉をとても大切にしていると感じています。

酔っ払った自分はどんな姿だったか?(とても恥ずかしくて、情けない)
なんでそんなに飲んでしまったのか?(おいしかった、楽しかった、ストレスが溜まっていた)
ストレスの原因はなんだったのか?(ここでは書けないけど、心当たりアリ)
といった感じで、自分を深掘りしていく。
この作業の中で、お酒のパワーに頼ってしまい、見て見ぬふりをしている自分の姿や、本当は考えなくてはいけないけれど後回しにしていた、という物事に出会うかもしれません。

「お酒の力に惑わされることなく、今の自分をしっかり見つめなさい!」
「欲望に負ける自分をよく知りなさい!」
お釈迦様からそう言われているような気がします。

定番ではありますが〈酒は飲んでも飲まれるな>。なんて的を射た言葉なのでしょうか。

もしも、お酒に飲まれてしまったら。
飲まれてしまった原因は、おいしかった!楽しかった!だけですか?
それ以外に、心当たりはありませんか?
恥ずかしいけど、情けないけど、自分と向き合うチャンスです!

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✍️書いた人

海野 紀恵(うんの・きえ)

浄土真宗本願寺派僧侶・布教使・フリーアナウンサー。 仏教に限らず宗教全般に興味津々。 お酒・おしゃべり・京都が大好き。 SBCラジオ「Mixxxxxx +」(月・木・金)YBSラジオ「プチ鹿島のラジオ19××」出演中。